ー 今日はよろしくお願いします。はじめに、コンピュータに接することになったキッカケを教えてもらえますか?

大学では音響工学を専攻していました。そして4年生の時には大学院への進学を目指していたんですが、いろいろあって結局仕事を探すことになったんです。

ただ、そのとき大学はすでに卒業してしまっていたので新卒枠での就職は難しく、とにかく何でもいいから仕事を探す、ことになりました。

そうこうしているうちに、未経験でもいいのでソフトウェアエンジニア候補生を募集しているという会社の話を高校の同級生から聞いて、東京にあるソフトウェア開発企業への就職が決まったんです。

ただ、決まったのが9月でしたので、3月までその会社でアルバイトさせてもらうことになりました。

ー ソフトウェア開発の経験はあったのでしょうか?

いいえ、まったくありませんでした。ですので最初はテスターとしてソフトウェアのテストをやっていたんですが、1月〜2月からプログラミングをやらせてもらえることになりました。

ー そのときの開発言語は何だったんですか?

C言語です。それまでもなんとなく勉強はしていたんですが、ポインタとかいろいろ難しかったですね。ただ、主任さんがとてもよく面倒を見てくれたおかげで、ついていくことができました。

そのうち自分でロジックを組み替えてみたりと、自分で工夫するようにもなっていきました。

ー なるほどです。開発を任されはじめた頃はどんなことをやっていたんでしょうか?

その会社には自社製品もあったんですが、私は主に受託開発のほうを任されていました。例えば役所の設備積算システムとか、金融関係、保険会社、教育系のシステム、などなどです。結局この会社には10年近くいました。

ー そのあと別の開発会社に転職されたんですか?

はい、次に勤めたのは携帯電話、いまでいうガラケーですね、のミドルウェアを作る会社でした。オフィスはやはり東京にありました。

ガラケーのミドルウェアとは何かと言いますと、当時ガラケーでいろんなアプリを動かすことが流行っていたんですが、その、ガラケー上でアプリを動かすために必要となる中間ソフトウェア、のことです。

OSとアプリケーションの間=ミドルにいるソフトウェアですね。

ー ガラケー用のアプリ、いろいろありましたね〜。

ですね。その頃そのようなミドルウェアを開発している企業は限られていました。実際には2つ、その業界でよく知られた会社があったんですが、そのうちのひとつの企業に在籍していました。

そうこうしているうちに、その会社が沖縄事務所を開設しました。沖縄で暮らしたいと考えていたので異動させてもらったのですが、数年でその沖縄の事務所が閉鎖することになってしまったんです。東京には戻りたくなかったので、沖縄で再就職先を探すことにしました。

ー そしてブルー・オーシャン沖縄に入社することになったんですね。

はい。社長とは前職の頃から、知人に紹介してもらって面識はあったんです。

私がブルー・オーシャン沖縄に入った当時はまだ創業期で人が足りていなかったこともあり、サーバやルータなどインフラの設置業務を多くやりました。

それまでずっとソフトウェアエンジニアでしたので、インフラ系の仕事は当時の自分にはけっこう大変でしたね(笑)。

ー そういう経験もされていたんですね、知らなかったです…。いまはどんな業務に従事されていますか?

純粋にソフトウェア開発ですね。グラスフォンやニアリンクなどの自社製品の開発が中心です。

また、他社さんの開発をお手伝いしていたときもありますが、その頃はWebアプリケーションからWindowsCE用のアプリケーションまで、実に多種多様な開発に関わっていました。

ー では、ふだんの仕事で意識していることがあれば教えてください。

プログラムを書くときは、とにかくいろんな可能性を考えるようにしていますね。可能性というのは、プログラムのメンテナンスのしやすさとか、拡張のしやすさとか、そういったことをあれこれ深く考えた上でコーディングに着手しています。

ー 自分の手を離れたときのことまで考えて、ということですね。では、ブルー・オーシャン沖縄の良いと感じる点を教えてもらえますか?

とても自由なところが良いと思います。服装から開発環境まで、制約がないです。もちろん、良識を持った上での話ではありますが、変に縛られることが一切ないので、とても仕事しやすいです。

ー 縛りがないというのは、特に開発エンジニアにとっては重要ですよね…ちなみにいまの業務内容はおもしろいですか?

グラスフォンやニアリンクなどの防災対策ソリューションは社会的意義も大きいので、やりがいを強く感じています。ただ、おもしろいかどうかという質問については、私はコードを書くこと自体が楽しい人間なので、業務が楽しいかどうかというのとは別の感覚かもしれません。

ー なるほど、コーディングは天職ということですね(笑) 最後に、ブルー・オーシャン沖縄に興味を持っていただいた方へのメッセージがあればお願いします。

実は私が若い頃、開発エンジニアという仕事は歳をとったらできなくなると言われていました。ですが、私はこの仕事をもう30年近くやっています。

常に深く考えるようにしていれば思考力は衰えないと思いますし、いろいろな引き出しを作るように心がけていれば、何か新しいことがやって来ても、その引き出しから応用を効かせることができます。

ですので、自分の中に新しい引き出しを作るつもりで日々業務に向かい合っていれば長く続けられると思いますし、ブルー・オーシャン沖縄はそれをしっかり支えてくれる会社だと思います。

ー 今日はたくさんのお話をありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。

ー 今日はよろしくお願いします。はじめに、コンピュータに接することになったキッカケを教えてもらえますか?

大学では音響工学を専攻していました。そして4年生の時には大学院への進学を目指していたんですが、いろいろあって結局仕事を探すことになったんです。

ただ、そのとき大学はすでに卒業してしまっていたので新卒枠での就職は難しく、とにかく何でもいいから仕事を探す、ことになりました。

そうこうしているうちに、未経験でもいいのでソフトウェアエンジニア候補生を募集しているという会社の話を高校の同級生から聞いて、東京にあるソフトウェア開発企業への就職が決まったんです。

ただ、決まったのが9月でしたので、3月までその会社でアルバイトさせてもらうことになりました。

ー ソフトウェア開発の経験はあったのでしょうか?

いいえ、まったくありませんでした。ですので最初はテスターとしてソフトウェアのテストをやっていたんですが、1月〜2月からプログラミングをやらせてもらえることになりました。

ー そのときの開発言語は何だったんですか?

C言語です。それまでもなんとなく勉強はしていたんですが、ポインタとかいろいろ難しかったですね。ただ、主任さんがとてもよく面倒を見てくれたおかげで、ついていくことができました。

そのうち自分でロジックを組み替えてみたりと、自分で工夫するようにもなっていきました。

ー なるほどです。開発を任されはじめた頃はどんなことをやっていたんでしょうか?

その会社には自社製品もあったんですが、私は主に受託開発のほうを任されていました。例えば役所の設備積算システムとか、金融関係、保険会社、教育系のシステム、などなどです。結局この会社には10年近くいました。

ー そのあと別の開発会社に転職されたんですか?

はい、次に勤めたのは携帯電話、いまでいうガラケーですね、のミドルウェアを作る会社でした。オフィスはやはり東京にありました。

ガラケーのミドルウェアとは何かと言いますと、当時ガラケーでいろんなアプリを動かすことが流行っていたんですが、その、ガラケー上でアプリを動かすために必要となる中間ソフトウェア、のことです。

OSとアプリケーションの間=ミドルにいるソフトウェアですね。

ー ガラケー用のアプリ、いろいろありましたね〜。

ですね。その頃そのようなミドルウェアを開発している企業は限られていました。実際には2つ、その業界でよく知られた会社があったんですが、そのうちのひとつの企業に在籍していました。

そうこうしているうちに、その会社が沖縄事務所を開設しました。沖縄で暮らしたいと考えていたので異動させてもらったのですが、数年でその沖縄の事務所が閉鎖することになってしまったんです。東京には戻りたくなかったので、沖縄で再就職先を探すことにしました。

ー そしてブルー・オーシャン沖縄に入社することになったんですね。

はい。社長とは前職の頃から、知人に紹介してもらって面識はあったんです。

私がブルー・オーシャン沖縄に入った当時はまだ創業期で人が足りていなかったこともあり、サーバやルータなどインフラの設置業務を多くやりました。

それまでずっとソフトウェアエンジニアでしたので、インフラ系の仕事は当時の自分にはけっこう大変でしたね(笑)。

ー そういう経験もされていたんですね、知らなかったです…。いまはどんな業務に従事されていますか?

純粋にソフトウェア開発ですね。グラスフォンやニアリンクなどの自社製品の開発が中心です。

また、他社さんの開発をお手伝いしていたときもありますが、その頃はWebアプリケーションからWindowsCE用のアプリケーションまで、実に多種多様な開発に関わっていました。

ー では、ふだんの仕事で意識していることがあれば教えてください。

プログラムを書くときは、とにかくいろんな可能性を考えるようにしていますね。可能性というのは、プログラムのメンテナンスのしやすさとか、拡張のしやすさとか、そういったことをあれこれ深く考えた上でコーディングに着手しています。

ー 自分の手を離れたときのことまで考えて、ということですね。では、ブルー・オーシャン沖縄の良いと感じる点を教えてもらえますか?

とても自由なところが良いと思います。服装から開発環境まで、制約がないです。もちろん、良識を持った上での話ではありますが、変に縛られることが一切ないので、とても仕事しやすいです。

ー 縛りがないというのは、特に開発エンジニアにとっては重要ですよね…ちなみにいまの業務内容はおもしろいですか?

グラスフォンやニアリンクなどの防災対策ソリューションは社会的意義も大きいので、やりがいを強く感じています。ただ、おもしろいかどうかという質問については、私はコードを書くこと自体が楽しい人間なので、業務が楽しいかどうかというのとは別の感覚かもしれません。

ー なるほど、コーディングは天職ということですね(笑) 最後に、ブルー・オーシャン沖縄に興味を持っていただいた方へのメッセージがあればお願いします。

実は私が若い頃、開発エンジニアという仕事は歳をとったらできなくなると言われていました。ですが、私はこの仕事をもう30年近くやっています。

常に深く考えるようにしていれば思考力は衰えないと思いますし、いろいろな引き出しを作るように心がけていれば、何か新しいことがやって来ても、その引き出しから応用を効かせることができます。

ですので、自分の中に新しい引き出しを作るつもりで日々業務に向かい合っていれば長く続けられると思いますし、ブルー・オーシャン沖縄はそれをしっかり支えてくれる会社だと思います。

ー 今日はたくさんのお話をありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。