ー 今日はよろしくお願いします。岩見さんはいまブルー・オーシャン沖縄の代表を務めていますが、これまでのキャリアについて教えてもらえますか?

IT業界はもう30年以上になりますが、実はもともとカメラマンになりたかったので、大学は日本大学芸術学部の写真学科に入りました。

ー 日芸の写真学科というと篠山紀信さんですね? それがなぜITの世界に進むことになったのでしょうか?

ドラゴンクエストで有名になったENIXというソフトウェア開発会社でアルバイトを始めたんです。当時はまだ小さかったENIX社で、雑用やデバッグを約4年間やりました。

当時のENIX社は新宿青梅街道近くの雑居ビルに入っていて、社員数は20人に満たないくらい、トイレも男女兼用がひとつだけ、という状況でした。でも会社には漫画家の鳥山明さん、有名なシナリオライターの堀江雄二さんや、音楽家のすぎやまこういちさん、カリスマプログラマーの中村光一さんなどが出入りしていたんです。

とても活気があって楽しくて、結局大学にはほとんど行かず、ずっと会社に居ましたね。

ー 最初から刺激的すぎますね(笑) 就職はどうされたのでしょうか。

そのアルバイトがきっかけでIT業界に関心を持って、最初は地元埼玉の大手IT企業さんで5年勤めました。その次はIPAの外郭団体の大規模テスティングセンターでスタートアップメンバーとして8年勤務、その後、知り合いが起業した東京の会社にジョインして、CTO(最高技術責任者)として株式公開の一歩手前まで行きました。

ただ、株式公開は良いことばかりではなくて、、人間関係が最悪になることがあるんですね。今までの仲間が突然ライバルになって。

ー 大変な状況だったんですね。

はい、結局そのときは社内の陣取り合戦に疲れまして、もともと好きだった海外で働こうと考え始めていました。そんな折、知り合いに赤坂の沖縄料理屋さんに呼ばれたんです。大手から資本をもらって沖縄で起業するのでエンジニアを探している、良い人がいないか?と。

沖縄は大好きだったので、ならばと自分で手を挙げさせてもらいました。

その後沖縄に拠点を移し、その会社以外の地元企業も含めて10年以上勤めた後に、ブルー・オーシャン沖縄の代表としての業務がスタートしました。

ー ブルー・オーシャン沖縄の代表に就任した経緯について教えてもらえますか?

もともと弊社は、私の妻が立ち上げた会社なんですが、当時出産に集中したいということで、途中から交代させていただきました。

ー 代表就任から5年経った現在の状況について教えてください。

私がかつて本土で仕事をしていたときは、中堅企業でも元請け企業の社名を名乗ることが多く、自社の社名をおもてに出せないもどかしさがありました。

しかしいまはそのようなことは全くなく、沖縄に加え全国各地の自治体さまから案件のお声掛けをいただいたり、一般的に中小企業が口座を持てないようなお客さまともお仕事させていただいたりしている状況で、とても嬉しいです。

ー 今後ブルー・オーシャン沖縄として達成したいことを教えてもらえますか?

「沖縄に貢献したい」と言葉にするのは簡単なのですが、事業を通じて実際に沖縄のためになることをやるのはなかなか容易ではないと感じています。

弊社も株式会社ですので数字を追うことはもちろん大事なのですが、それでもやはり沖縄のためになる仕事をしていきたいです。

幸いなことに実績も増えていますので、これからもブレることなく、その軸を大切にして企業活動を行っていきたいです。

ー ブルー・オーシャン沖縄の強みはどこにあると考えていますか?

会社全体で考えると、沖縄への思いの強さ、企画提案力、その実現を支えるIT分野の技術力だと思います。

また社内的には、大きな会社で時折見られるような「会議のための会議」や不要な根回しなどは一切不要で、即決即断、無駄なくフルスピードで仕事ができる環境も大きな強みだと思っています。

ー では最後に、お客さまへのメッセージをお願いします。

はい。難易度が高いご相談をいただくことも多いのですが、それは弊社への期待が高いことの現れだと感じて取り組んでいます。

今後もお客さまからの期待に誠実にお応えすることはもちろん、期待以上の結果を残し続けることで、信頼を積み上げていきたいです。

また、ビジネスをするだけではなく、沖縄や全国の地方創生、地域活性化のお役に立つことを最重要目標と位置づけ、それに向けて邁進してまいります。

今後ともどうぞ、ブルー・オーシャン沖縄をよろしくお願いいたします。

ー 今日はありがとうございました。

ありがとうございました。